パキスタンを知るまでの経緯です。
中学、高校にかけてバドミントンに打ち込む。

絶対受かるわ〜とたかをくくり、東京外国語大学ベトナム語科に単願で望むも撃沈

ショックのあまり、ママチャリで日本一周の旅に出る。箱根の山を黙々と上っているあたりからママチャリの限界を感じ始め、富士山五合目には歯も立たず。軽井沢ではホテルの高さにやられ、上越では台風に負け、魚沼で猿に襲われ3週間ほどで挫折し、帰宅。自宅浪人となる。


イライラしながら勉強しているところでアフガン難民のドキュメンタリーを見る。同い年の女性が赤ん坊を背負って山を越えてパキスタンに逃げてくる映像に衝撃を受ける。これはもう・・・ウルドゥー語科決定だ、と。
一浪し、東京外国語大学ウルドゥー語科に合格。

 

今振り返るとパキスタンと関係を持つようになったのはこのような経緯です。部活に打ち込んでいたせいか、当時は日本一周を挫折し、帰宅直後に浪人という事実を突きつけられる、という合わせ技によって完全に凹んでいました。

こういう状態で一日中勉強をしていたので日々鬱々としていたのですが、ある日たまたまアフガン難民のドキュメンタリーを見ていたら、不思議とやる気が湧いてきて、それ以来パキスタンやアフガニスタンを意識するようになりました。こういった国のことを勉強するには・・・と考えたら東京外国語大学ウルドゥー語科が頭に浮かんだのです。